備忘の島

寒の兎か白鷺七日

忘れないうちに

前回からとても間が空いたというか、ログインがめんどくさかったというか。

何も見ずに入力して入れたら記事を書く、と決めて今日再挑戦しました。入れたのでとりあえず何か書き残す。

 

結局あれからドイツ語研究(トーシロレベル)一度もやらなかったなぁ。件のグリム童話は序盤に載ってた『蛙の王様』の話があまりに湿っぽすぎて(比喩だけど比喩じゃない)(わかれ~?(ジャガなんとか並感))とりあえず諦めました。読破諦めてもいいよぉモードだったので、根性ないとは思いつつまあ別に。

今はデーブリーンの『たんぽぽ殺し』短編集を読み解いています。面白…くないこともなくなくない。ただ最初短編集だと気付かなくて『帆走』が第1章かなんかだと思ってたのはちょっと。日本語訳先にパラ見したんですが普通にクレイジーだなーと思いました。こんなんドイツ語で初見で読んでたら絶対半分も内容わからなかったと思います。日本語で読んでも3割もわかってない気がする。やばい(語彙力のなさが)

 

今度、日記帳を買います。誕生日記念だったり。自分の誕生日をおめでたいとか思ったことはないんですが、おいしいものを食べるとかそういう我儘の理由付けとしては最適だなという感情です。

わしのかんがえたさいこーのにっきちょうを探しにウキウキ散歩しに行くと思います。わしがかんがえたとか言いつつ自作するでもなく他人の作品にそれを求めるとはこれ如何に。古めかしくて古書っぽくて(重複表現(語彙力がない(2回目)))、できれば鍵がついてて、そしてできれば2000円くらいのやつがあったらいいなぁ、なんて思ってたり。なんとなく2000円の価値をつけたいんで、2000円だったら“買い”だなぁと思うだけです。そんな(都合の良い)ものはない、と言われたら、まあそうだなと思いつつ泣いてしまいそう。今更ですがこのブログ書いてる人は情緒が結構アレです。

あんまり関係ない話を挟むと、こないだストーリー何度もリプレイする用に買いに行ったポケダン空の探検隊2個目を中古で探してみたのですが、10年経った今でも定価-1000円くらいが最安値っぽくて目ん玉飛び出ました。泣く泣く諦めた。やっぱり私の認めた神ゲーはこの世界にとっても神ゲーだったんだ…!と嬉しくなりましたがやっぱり今の懐事情的に高かった。ちなみに1個目はやりこみ用です。ゼロ島とかでなく単純に全ポケ100Lvとかを目指してる。ステータス馬鹿高の主人公ピカ様を知人に見せたところ「うわきもっ」と返されました。かなしい。

 

というわけで要するにこの記事はその日記帳を手に入れるまでの繋ぎの役目でしかないと思うのですが、今回起動した理由は案の定というか明日の仕事が一際クソ不安だったからです。夜まで終日仕事だけど、以前やらかして個人的にもう二度とやりたくないトラウマをほじくり返される気分…(いつもはやらない仕事です)。職場では無感情マンなので何とも思ってないと思われてそうなんだなこれがー! 私のことは何卒無能だということを念頭に入れて仕事を振ってほしい気持ちvsそんなしょぼ根性で仕事するなという鬼常識人の私vsそもそもそんな奴を雇うやつがあるかという至極まともな常識 ファイッ

どんなに些細なことでもストレスを溜め込んでしまうタイプ(※別に好きでそういう性格してないです)なので、こういう精神状況になるともう自分のしたいことがわからなくなりがちなんですよね。食べたいものも描きたいものも作りたいものもわからない。ちょっと抑圧的な家庭で育ったせいというのも相俟って、自分ですら自分のことがわからなくなります。「自分ですらわからない自分のことを他人に理解しておいてもらうのは不可能だよ」って何だよおおおおお!!! もっと頑張ってほしい(????) まあ頭ではなんとなくわかってます。あるいはわかってるフリかもしれない。良い子ちゃんムーブは半ば本能に染みついてしまってますね。やはり悲しい…。

ちなみに家庭とは3割くらい和解しました。ギリギリ分かり合える部分と決して相容れない思考回路が私の中で判明したと表現する方が正確かな。あちらさんが話を聞こうと色々努力するようになったのは良いことだと思います。でも生まれ持った性格を変えるのは難しいよ。死んでも許さんと啖呵切った手前、あまり仲良くしすぎないようにしています。世の中でどれだけ親子や家族の絆が持て囃されようと、私は私で見極めるようにしなきゃいけない。これもきっと理解されづらいことだなぁ(そもそもお前の伝達能力が低い)。

 

思うままに文章を打ちました。意味不明だと思う方がむしろ正常かもです。元々そういう思考の置き場コンセプトだったわけだしね。外部記憶装置(と書いてストレージとルビを振る)…。

 

それだけです。早く日記が欲しい。あと明日の仕事は本当に滅べ(?)

明日生きて帰ってきたら一杯の酒ぶんくらいは自分を労いたいと思います。それくらいは自分を許すようになった、と思いたい。

 

P.S.

ぶっちゃけ「すごい」って褒めそやされるよりも「ありがとう」って感謝される方が緊張しないで済むのって何でなんでしょうかね? この謎は探るべきかも。

褒めてくれる人のために頑張りたいと思う程度には褒めて伸ばされたい派なのですが、上述のように褒め方ひとつで結構空回って失敗する。全く儘ならない。