備忘の島

寒の兎か白鷺七日

なんと日記帳を手に入れたのに更新するぞ

タイトルまま。密林にてよさげな日記帳をゲットしました。

LaLa Mart アンティーク風 ノート 日記帳 中世ヨーロッパ貴族風 鍵付き 古書風 ダイアリー ワインレッド

 ブログにリンク貼るの慣れてないんで合ってるかわからない…たぶんこれだったような。

買いに行くのに身内を連れ回した挙句、結局お眼鏡に適うもんはこれしかねぇとポチってFA。なんてやつだ。実際そう言われたのですがおかしいですね、私は最初に「今回の日記帳ってのは必需品じゃなくて娯楽品だからこれだ!ってのがなかったら買わんよ」と再三、再三言っておいたのですが。まあいつも通り私が過剰に反応してただけなのかもしれないけれど、もうそろそろそういう性格だとわかって喋るべきなのでは? 20年私の何を見てきたのか?(万人を苛立たせる(誇張)責任転嫁)

そしてなんと、日記帳には未だに何も書いていません。然るべきことを書く日が来たら、緑のガラスペンでしたためようと思っています。でもきっと、袋に入ったままの状態で私の領域に在ること自体が価値なんだな。お守り的な。ので買ったのも別に後悔していないというか、むしろ初めからそのつもりだったのでは。2000円のきぼうのはこ。身内には理解してもらえないようです(別に理解してくれとも思ってないのですが。ある種の自己陶酔なのかなぁこれ)

 

いやあはてなブログって打ちやすくていいですね。主な棲息地はついったーらんどだったのですがやっぱりネガネガしツイートをぽこじゃか投げるのには忍びなく。超壁打ち独白アカウント(botしかフォローしてないようなやつ)が一番使いやすいってどういうこっちゃ。最近人間嫌いがさらに激化しまして、いやもう憎悪か?というレベルで。傷付けてやる、という方向に行ってないのが幸いですが、無理やり引きずり出されればその分憎悪判定溜まるので私という人間はやはり閉じ込めておいた方が世の中安泰じゃないかな~!とか思います。自分で言ってて寒気がしてきた。なるべく認識されないようにひっそり逝きてゆきたいので、そういう衝動はもっと自分に向けておくよう訓練しておかないとですね。みんなそういうの溜め込むの良くないと言ってくださいますが、無意識の嘘なのでそれを真に受けてはいけないのです。と思います。

 

あんまり自分の話してもな、と思っているのですが、前回仕事がどうたらとか言ってるし結末くらいは述べておくべきなのかな?

自分、実は大学生でして。お休みもらって働いていたんですね。今は再び大学に舞い戻っていますが、あの仕事ぶりはどうしたと当然訊かれるレベルでジリ貧な受講態度だったりします。

勉強は好きです。人が嫌いです。部屋に閉じ込められるのも嫌です。自分の家も実はそんなに好きではないです。もっと狭い家にしておけばよかったな。

勉強は好きって言っても、結局アレなんですよ。ひたすら百科事典のページを繰っていって知らない単語をサーフィンするだけ。何の生産性もないその作業しか好きじゃないので、学術的な進路でもきっと生き残れない。研究職向いてるよって言われたし、私も興味ある分野ならまあ…と思わんでもないですね。それが続くなら、の話ですが。そも、研究職と言ってもどうせ発表という名の発信が求められるだろうし、研究費がどうのとかフィールドワークがどうのとか、するんでしょう?(クソ無知)

進路。進路かぁ。命削って頑張りたいことじゃないときっと続けられないな、と受験期乗り越えた後の燃え尽き症候群を未だ数年単位で引きずり、頑張ろうとするたびに謎のブレーキがかかる人間としては思うわけです。絵を描くのは絶対に仕事にしたくないです。嫌いになりたくないから。文章を書くの、内心割と誰にも負けないとか驕ってる部分あるのですが、果たしてお金になるよう調整などできるのですかね? この無駄な馬鹿プライド(矜持とかじゃなくて虚栄心とか見栄とかそういうやつ?)をわざわざ誇示するような分野で? これも一考どころか十考くらいしなきゃなんではないかな。

まあ進路についてはどうでもいいです。今考えるとこじゃないので。課題ちょっと頑張ったくらいですぐ燃え尽きて1週間休んで、隔週でしか外に出られないような惨状を何とかすべき。

 

受験期は毎日死ぬ想像をしながら生きていました。傍目に見てもぼろぼろだったらしいけどそう言ってくる人たちは結局「見守る」という素晴らしい選択以外何も取らなかったので死んだらもしかすると目にもの見せられたかもしれません。

電車を待ちながら、派手に轢かれるところをできる限りリアルに想像しつつ、覚えたての英単語とか世界史の用語とその時代背景説明を思い出し、とりあえずホームの一番レールから離れたところで身震いしてやっと立つか座るかしてました。何言ってるのかわからんと思いますが365日常に精神がそのぐちゃぐちゃミンチな状態の中。正気な自分を不思議そうに、あるいは嘲って眺めているもう一人の自分という客観的視点(?)を創っておいておかないと何をしているのかすら認識できない。この謎状況な受験期を過ごした人が全世界にどれくらいいるんでしょうかね、想像つかないなぁ。いつでも、どんなことをしていても、死の影のような暗い靄の感情が、必ず心の底を覆っています。今ではそこまで死にたい感じではありません。というか諦めちゃったのかな。例えば死んだ後地獄に落とされると仮定しても、地獄の鬼だって私のような人間には触りたいとすら思わないような、そんなふうに思います。意外と死にたくないからそういう理由づけをしているだけかもしれませんが、これはこれで革新的?と自分でも思うので気に入っています。でもその暗雲だけは、何年も経った今でも当然のように付き纏います。息をするのも惨めでしんどくて、ああこの世のどこにも居場所はないなぁと悲観のような悟りのような(悟りというと青二才が何を、と思われそうですがこの感情をひとまず「悟り(偽)」としておかないと自分が仮初の答えすら得ていないようで無間地獄のような思考の苦しさを伴うのです)感情に終始襲われていても、アルカイックスマイルは浮かべられます。変なの。ただし言葉はかなり狂暴で冷たいものになるので、口はあんまり開きたくないですね。どうでもいい世間話に当たり障りのない返答すら返せなくなります。あっそれ元からだわ(やめろ)

ちなみに電車に関しては、飛び降りすると大量の人に迷惑がかかると理解したのは、そんな思いに駆られ始めてから約半年後くらいのことです。よく生きてたな自分…思ったより死にたくないんだな…まあ哲学的ゾンビよろしく生きてるという絶対的な事実に変わりはないけど…。

 

こんな時間に何をべらべらと書いているのか。まあお察しの通り折れかかっているだけです。クソ大学生による毒にも薬にもならない来世からも使えないドイツ語読解講座(講座じゃねえ)を連載したいのになー! たんぽぽ殺しもちょっと諦めモードなんでもうちょっとなんか、上手いこと合いそうな難易度の課題文を見つけてきたい。

水滸伝のドイツ語バージョンとかない???(唐突に頭がおかしい発想)読んでどうすんだって感じだ…いやまあ水滸伝の特別ファンというわけでもなく、ただ中国文学おもろいねってだけ。何のアピールなのか。

あとさっき家が嫌いって話をしたような気がする…→内装変えてみたら??→変えたという行動結果に満足して変わった内装自体には何の感慨も覚えずに依然として家が嫌いなまま結果として無駄な出費に終わるでQED(何を証明した気になっているのか)

 

まあ以上です。早く軌道に乗った生活がした~い!!

これだけぽんこつな人間がなんだかんだ生き残ったら、このドぽんこつな人間を殺しきれなかった世界の敗北って感じがしてとってもエモくないですか? そんなクソ理論で生という状態を続けてみるのも一興かもしれない。

これも言い訳です!!はいおわりおわり!!!